今年の運動会は春に済んでいたので、学校祭が過ぎれば、残る秋のイベントは球技会だ。アンジュと一緒にテニスを選択するつもりだと言っていたシエルは、長身と、運動神経が良いのを理由に、クラスメートたちに、無理矢理バスケットボールチームに振り分けられた。
 大会当日、アンジュたちテニスチームは、可もなく不可もなくといったところで、準々決勝で敗退した。敗退後、テニスチーム皆で体育館へ移動する。シエルたちバスケットボールチームの準決勝戦が行われていた。三年生のチームを相手に、僅かだけれどリードしている。立ってコートを取り囲む生徒たちを、少し強引に掻き分けて、前方を陣取って体育座りをする。クラスメートのチームの試合を応援しようというのだから、多少のわがままは許されるだろう。
 期待通り、シエルの動きは、無駄が無く機敏、且つ適格だった。三年生のバスケットボール部員と互角に競っているシエルに、目が釘付けになる。
 昨年度の冬、長距離走の授業でも、シエルは運動部員と互角のタイムを出していた。少しでもシエルに追いつきたくて、あの時期、アンジュはこっそり夜にランニングをしていた。タイムは随分縮んだけれど、シエルには敵わなかった。体が薄っぺらいからかな、これくらいの距離なら軽いんだ。さらりと言うシエルが、アンジュは不思議だった。薄っぺらくては走りきれないように思う。体操着の半袖シャツとハーフパンツからすらりと伸びるシエルの手足は、確かに、薄っぺらい、という表現が似合った。
 あの時より伸びてはいても、相変わらず薄っぺらいという印象は変わらないシエルの手足。柔らかくパスを受け取って、小さなドリブルを繰り返し滑るようにゴールに近づくと、軽やかに跳ねてボールを投げ、得点した。一際大きな歓声が体育館中に反響する。あーあ、こんなに差があっては、長距離のときのように、競う気も起こらないわ。
 観戦している生徒の中に、シエルのファンの後輩が結構いるようで、彼女たちは、シエルの名は叫べずに、それでもシエルが少しでも活躍を見せると黄色い歓声をあげた。アンジュは、テニスチームメートと一緒に、誰に気兼ねすること無くシエルの名を叫ぶことができるわけだ。よく通るアンジュの声は、皆の歓声を一つ飛び越えて真っ直ぐ響く。
 シエルの、ポニーテールにまとめた銀に近い金髪が、激しい動きに合わせて跳ねる。アンジュは心の中で呟いてみる。こんな子が私の友人だなんて不思議。シエルって不思議。けれど呟いてみると、途端に不思議でも何でもない気がした。じゃあ、シエルは普通。……普通とも違う。じゃあ、シエルは、シエル――……。
 
   ***
 
 シエルたちは、結果、決勝戦で惜しくも敗れて準優勝となった。二年生で準優勝は快挙だ。クラスにトロフィーが飾られた。
「ねえ、何考えてたの、私の試合中さ。途中からぼうっとしてたでしょう。」
 閉会式の後、教室でシエルにそう言われて、アンジュは驚いた。
「私を見ていたの、試合中に。いくらあなたが器用とはいえ、さすがにびっくりだわ。」
「だって、あんまり浮いてたもの。」
「やっぱりシエルって変なの。」
 なんでさ。シエルは、不満気に唇を尖らせている。
 
   ***
 
 球技会以降しばらくの間、テニスにハマったアンジュは、ダブルスを組んでいた相手のレナと、暇をみてはテニスをして遊んだ。テニス部員は使用したがらない、あまり平らでない古いコートが一つあって、そのコートならいつでも空いている。合唱部の練習がない昼休みは、晴れの日ならば必ずテニスをしにコートへ出た。雨の日は、相変わらず一人で図書室へ向かう。運が良ければ、司書のラメルが、図書室内の図書委員会議室に招いて紅茶を淹れてくれる。
 雨の日、レナやポムと教室でお弁当を食べ終わって、早速図書室へ向かおうと教室を出ると、シエルが後をついてきた。不機嫌な顔をしている。
「……どうしたの。アデルたちと喧嘩でもした?」
 昼休み、シエルはアデルやカミラたちと、七、八人でお弁当を食べている。クラスで一番、賑やかで華のある生徒たちのグループだ。
「そうじゃないよ。……僕も図書室に行く。」
「でもシエル、本、好きじゃないのに。」
「好きじゃないなんて言ってないだろう。」
「読めるの。」
「馬鹿にしないでくれる。」
 図書室の受付に、ラメルが座っていた。彼女はシエルをみとめて、金縁の丸眼鏡の奥のグレーの目をいたずらっぽく見開いた。
「あらシエル。珍しいのね。眠りにきたの?」
「……本を読みにきたんです。」
 シエルはしかめっ面で、そそくさと連立する本棚の間に消えてしまった。アンジュは溜め息をついた。
「彼女、また訳無く不機嫌なんです。」
「訳はあるでしょう。あなたが鈍感なだけ。最近、晴れの日はあなたレナとばかり遊んでいるから、彼女寂しいのよ。」
 そうなのかしら。首をひねるアンジュに、ラメルは、二人で会議室で待っていらっしゃい、と立ち上がり笑いかけた。やったあ。アンジュはすぐさまシエルを見つけ出すと(彼女は歴史小説コーナーの棚の間にいた)、会議室に誘った。
「ラメル先生が紅茶を淹れてくれるって。ビスケットもつけてくれるかも。せっかくだもの、読書は止め。お茶にしましょう。会議室なら、うるさくお喋りしていても大丈夫だし。」
 今日は受付当番の図書委員の生徒が休んでいるらしく、暇とはいえ受付を離れるわけにいかないラメルは、待ち望む二人に紅茶とビスケットを運んでくると、ごゆっくり、と言って会議室を出ていった。
 
 以来、雨の日は、シエルはアンジュに付いて図書室ですごすことが増えたけれど、お茶をするばかりで、シエルの読書量は一向に増えなかった。