1ウィルの入学

 

 夜明け前に町を出て、トラックを走らせ数時間。カソル一家はその港に辿り着いた。初見の港は美しかった。真白い波止場に打ち寄せる波は、無色透明で、所々青く閃いた。

 一家が港に着いてまもなく、巨船が一曹、先導も無しに静かに入港した。港には、先導員どころか、カソル一家以外にはまるで人など見当たらないのだった。

 船は、いつか映画で見たような豪華客船で、何階建てにもなっている、その階ごと、色とりどりの三角形の旗で縁取られている。船底上部側面に、『アネクメネ』と銘打ってあった。銘に沿ってダイヤモンド細工でも施されているのかと見まごうほど、その船の名は朝日でギラギラと輝いて、見る者の目を刺した。

 この船ーーアネクメネ号は、孤島にあるというその学校への直通便だった。アネクメネ号以外に、学校へ向かう手段は無いらしい。届いた入学要項に、そう説明があった。

カソル一家4人の目の前で、アネクメネ号が停泊した。一家の次男、ウィル・カソルは、待ち切れない様子で乗船口に駆け寄ろうとした。彼は興奮して思った。ついに僕がこの船に乗る番がきた。僕は選ばれたんだ。

「ウィル。」

 妹のメアリが後ろから彼を呼んだ。

 ウィルはハッとして振り向くと、見送りに来ている家族の元へ引き返し、それぞれとお別れのキスを交わした。笑顔の両親と、方や、メアリは青ざめて口を引き結んでいる。

 メアリとキスを交わすとき、ウィルは両親には聞こえないよう彼女の耳元で囁いた。

「大丈夫。うまくやるよ。」

 メアリはウィルを睨みつけて小声で返した。

「どうだか。船を見て、まさか思わなかったでしょうね、“ついに僕の番だ”って?」

 返答につまるウィルに、メアリは涙を零した。

「あんた、何しにあの学校へ行くのか本当に分かってるの。」

「当たり前だろう、何を言ってるの。必ずジョニーを連れ戻すよ。」

「信用できるもんですか……、」

 泣き出したメアリを、カソル夫人が慰めた。

「クリスマス休暇にはまた会えるんだからね。」

 一年前、この港からアネクメネ号に乗って旅立ったジョニー・カソルは、それきり帰ってきていないどころか、音信不通だった。こちらから手紙を出しても、住所不明の印とともに何度でも戻ってきた。

 ジョニーの見送りのときにも、両親は確かに『またクリスマス休暇に』と約束をしたのだ。同じ約束を、平然とウィルとも交わす両親に、ウィルとメアリは、言い知れぬ不安に襲われて、ただ黙っていた。

 別れの最後、メアリはウィルの腕をいま一度強く握った。

「絶対に連れて帰ってきてね。ジョニーと同じにならないで。」

 涙を拭いた後は、懸命に気丈を装うメアリを、ウィルは長い間抱き締めていた。

 

 果たしてアネクメネ号は出港した。この港からの乗客はウィル一人だけだった。

 家族三人はウィルを見送ると、人っ子一人いない港をあとにした。

 トラックに乗りこんだが最後、メアリは頑なに港を振り返ろうとしなかった。両親もまた、まるで振り返ろうとしない。帰る道、一言も喋らないメアリを気にかけつつも、カソル夫妻は互いで良く喋った。彼らの話題に、たった今別れたはずのウィルの名前がのぼることは無かった。

 

 その海岸線には、本当には港など存在しなかった。ウィルを乗せたアネクメネ号が遠く煌めく点になって水平線に溶け込むと、その美しい港も、打ち寄せる透明の波も、一緒に跡形も無く消え去った。

 

 * * *

 

 薄暗い廊下を、ウィルは一人歩いていく。

 廊下は絨毯張りで、通路片側には窓が続いた。窓の外は嵐で、昼間だけれど日射しは無かった。

 もう片側には寮室のドアが並んでいて、ドアの間間にキャンドルランプが取り付けられている。この暗さなので、ランプには既に火が灯っていた。

 

 乗船時、船内にも人影は見当たらなかった。不安に駆られたウィルは、船内を隈なく探索しようとしたが、今日は随分な早起きをしたからか、まもなく抗い難い眠気に襲われて、早々に探索は断念せざるをえなかった。彼は事前に割り当てられていた船室に引きさがると、すぐに寝台に倒れ込み眠りについた。到着のベルの音で目が覚めた。航海じゅう眠りこけていたのだった。ウィルが船室から顔を出すと、その通路にたち並ぶ船室のドアから、ウィルと変わらぬ年頃の子供たちが、次々と顔を出した。ウィルは、新入生が自分だけなのではないか、という、もしくはもっと別の、もっと恐ろしい疑惑から解放されて、胸を撫で下ろした。新入生皆が、同じに安堵していた。解放感から、彼らは直ぐに打ち解けあった。ウィルも、周囲の子供たちと質問を交わし合った。しかし、どこから来たのかという問いに、ウィルは答えることができなかった。

 下船してみれば、外は嵐だった。子供たちは呆気にとられた。下船するまで全く気が付かなかったからだった。

 港から学寮までは馬車で向かった。港は島の南側、寮は島の西側の端にあって、海に面していた。寮から海に向かって回廊が伸びていて、その先が校舎に繋がっているはずだった。馬車の中から回廊は見えても、嵐のために視界が悪く、校舎までは見通せなかった。

 女子と別れて男子寮に入ると、ロビーに新入生の部屋割りが掲示されていた。ウィルの部屋だけが違う階にあった。つまりは、彼だけが上級生と同室なのだった。

 他の新入生と別れ、一人上階の廊下を歩きながら、ウィルは再び不安に苛まれた。絨毯が音を吸うのか、すぐ階下には新入生たちがいるはずなのに、既に全くその気配を感じない。そして並んでいるどのドアの奥からも、物音一つ聞こえてこなかった。

 しかし、ウィルが目当ての部屋をノックすると、彼の不安をよそに、呆気なくドアは開いて、背の高い少年が顔を出した。

「名前は。」

 開口一番、幾分乱暴にそれだけ問うてきた彼は、とても美しい造作をしていた。プラチナブロンドの巻き毛に、それと同色の、底の深い瞳。

 ウィルが名乗ると、彼は頷いて、自分も名乗った後で、部屋の中に向かって叫んだ。

「僕はダレック、ダレック・グラス。よろしく、……やあ、ジョニー・カソル!ウィルがきたぞ。」

 ジョニー・カソル。ウィルは痺れて固まった。まさか、もう会えるなんて。

 美少年は、ウィルの腕を掴んで、部屋へ引き入れた。部屋には、ベッドと書き物机とクローゼットが、四セットずつあった。うち一つのベッドに、栗色の髪の少年が腰掛けていた。

「ジョニー……。」

 ウィルはそれだけ言って、後はただ彼を見つめるしかできなかった。

 ジョニーは、ベッドから飛び上がると、ウィルに駆け寄って彼を抱きしめた。ウィルは安堵で座り込みそうになった。ジョニーは変わっていない。変わらず僕の兄だ。彼は“帰らなかった”んじゃなく、“帰れなかった”んだ。

「ウィル。会えて嬉しい。大きくなったね。」

「うん。君も。」

「体の具合はどう。」

 一瞬ウィルは首をかしげたが、すぐに合点がいって決まり悪そうに笑った。

「もう問題ないよ。」

 一年前、ジョニーがあの船に乗るのを見送った日、その日の前日は、ウィルの退院日でもあった。その後、入院に至る大病は患っていなかった。

「それはなにより。」

 ジョニーは心から嬉しそうに返した。堪らず、ウィルは声高にまくし立てた。

「退院から一年も経つんだ、元気で当たり前だろう。君、一体どうして帰ってこなかったんだい。」

「……帰れないんだ。」

 ジョニーの答えに、ウィルの鼓動が速くなる。

「どうして。」

「だって僕、家のことすっかり忘れちゃったんだ。」

 言われてウィルは、茫然となった。自分自身も、自分の生まれ育った場所のことを全く思い出せないことに気がついたからだった。……両親の顔も、まるで思い浮かべることができない。

「……そりゃあ君も、ここに入学したなら記憶を失くして然るべきさ。だって君が覚えていたら、君と一緒に僕も家に帰れちゃうわけだからね。そう簡単にいくわけはないよ。さあさあ、落ち込まないで。」

 ウィルのショックを読み取って、ジョニーが言った。ウィルは眉を顰めた。

「……どういうこと?」

「ううむ、僕も目下調査中……、」

「……しかしお二人さん、とりあえずは制服に着替えないと。入学式に遅れるよ。」

 自分のクローゼットを開けながら、ダレックがカソル兄弟に声をかけた。

 

 クローゼットに用意されていた新品の制服に袖通しながら、ウィルは不安で仕方がなかった。彼を何より不安にさせたのは、ジョニーの態度だった。彼は、全てを忘れてしまったこの危機的状況を、随分軽く受け止めていやしないか。確かに、彼は何があっても取り乱さない性格だけど……。

 俯き加減のウィルの顔を覗き込み、ジョニーが言った。

「いくら僕でも、家に帰れないと知った初めから冷静だったわけじゃない。でも落ち込んでいても解決策は見つからないだろう?」

 ウィルは小さく頷いた。ジョニーの言っていることはもっともで、しかしジョニーは昔からいつでも、言っていること“は”もっともだった。

「メアリが待ってるのに。」

「そうだね、なんとしても僕らは帰らなきゃならない。」

「……本当にそう思ってる?」

「何が言いたいんだよ?バッチリそう思ってるさ、勿論。だから僕ら、帰るための情報を収集していかなくちゃな。」

「……君、まさかこの状況を楽しんでないよな。君ってやつは、相変わらず、いいや、尚更……、」

悲壮感も焦燥感も感じられないジョニーの物言いに、ウィルが不満を述べかけたそのとき、ドンドンと荒々しいノックが部屋中に響いた。顔を見合わせたジョニーとダレックが、二人で部屋のドアを開けると、小柄な少年が飛び込んできた。飛び込んでくるなり、少年は喚き散らした。

「君たち、またやったな!気狂い、悪魔、人でなし、」

 ダレックが叫び返した。

「落ち着けよ。」

「落ち着けだって?なんでそんなことが言える?人のことジョーンズに売り渡しておいて、」

「何、君、ついに奴の靴舐めさせてもらえたの?良かったね、晴れて正式に奴の下僕じゃないか。」

 にやにやと揶揄うジョニーに、少年は真っ赤になって飛び掛かろうとしたが、ダレックに後ろから羽交い締めにされて、叶わなかった。手足の長いダレックは、小柄な彼をいとも簡単に押さえ込んだ。ダレックは、じたばたともがく彼を押さえながら、呆れ顔だった。

「君、こんなに弱くて、よく毎度毎度逃げ帰ってくるな。」

……いつか絶対仕返ししてやるから。」

 ジョニーはにやけた表情を取り払うと、一転冷めた顔つきで、突き放したような口調で彼をあしらった。

「何にせよ、僕らは何も知らない。いつもそう言ってるだろう。ジョーンズたちの前で恥をかくたび僕らに当たるの、止めてくれる?」

「そんなの酷すぎる、あんまりだ。今回だって、僕、気が付いたらジョーンズたちの部屋に居たんだぞ、しかも……ああ、畜生!君らじゃなかったら、誰のせいだっていうの?」

 ダレックが、溜息をつきつつ、さも億劫そうに言った。

「言いがかりは止せ。今回だっていつだって、全ては君が自分自身でやってることだ。」

「この悪党、平気な顔して嘘をついて、」

「洞窟の水を持ってきてごらん!飲み干してやるから。」

 ジョニーのこの返答で、騒ぎ喚いていた少年は、ようやく静かになった。

 少年は痩せていた。顎が細いせいで、灰褐色の目が、やけに大きくみえた。

 一連の騒動を、呆気にとられて見ていたウィルは、少年が黙ったのを見計らって、彼に尋ねた。

「……もしかして君、新入生?」

 少年は興奮していたので、そう聞かれるまでウィルの存在を意識していなかった。彼は一瞬、見覚えの無い顔に面食らったが、ウィルが同室になることは聞いて知っていたので、すぐに思い当たって、挨拶をした。

「よろしく、僕はドリー。」

 ドリーのウィルに差し出す手はとても素っ気なかった。

 ドリーは、家の事情で、入学が決まってすぐにこの島にやってきて、夏中をこの寮で過ごしたらしい。不貞腐れて黙々と制服に着替える彼に代わって、ジョニーとダレックがウィルにそう説明した。ウィルは内心嬉しかった。良かった、同室の同級生がいて。仲良くなるのに少し時間がかかりそうではあるけれども。

「ねえ、洞窟の水って何?」

 ウィルがジョニーに聞いた。

「校舎裏の入江に洞窟がある。その中の海水のことだよ。飲んだ人間は、少しの間、嘘が吐けなくなる。」

 ドリーが隣で当て付けがましく鼻を鳴らした。

 

 男子生徒の制服は、白シャツに臙脂色のネクタイ、紺のズボン。身支度を終えて四人が部屋を出ると、先ほどの不気味なほどの静寂が嘘のように、廊下は同じ制服姿の男子生徒たちで溢れ、賑わっていた。生徒たちの波に乗って、四人は階段を降りていった。階ごと、更に生徒が加わって、賑やかさが増していく。最上級生から最下級生までが、一団となって寮の裏門を出た。

 校舎まで続く回廊は、屋根と手すりが付いていた。それを皆で渡って校舎へ向かった。回廊途中で、女子生徒の波と合流した。女子は、男子と同じく白シャツに臙脂のネクタイ、それに紺のプリーツスカートを履いていた。

 横殴りの雨がときに回廊内に吹き込んで、生徒のシャツの肩を濡らした。回廊からは海が一望できた。沖が荒れていた。新入生は、回廊の屋根から頭を出しては引っ込めて引っ込めては出し、海の水位が上昇して、波が今にも回廊の中まで届きそうなのを、頻りに何度も確かめていた。

 

 たどり着いた校舎は、石造りで、要所要所にランプが灯っているものの、全体に薄暗かった。古い修道院を改装した建物のようにも思えたが、特別、宗教的目印が見あたるわけでもなかった。

 廊下に、生徒たちの私語と足音が大きく反響した。ジョニーが、抑えた声でウィルに聞いた。

「帰ってこない僕を、メアリはなんて言ってた?」

 ウィルは肩をすくめた。

「散々。彼女、君が音信不通なのは完全に君自身の意思だと思ってたから。」

 ジョニーも肩をすくめた。

「あいつ、僕が被害者かもしれないって、ちらとも考えないんだからな。でも、君の失踪まで僕の手柄と思われたんじゃ、さすがに割に合わないや。」

「……そういえば僕ら、メアリのことは、こうして忘れないでいるね。どうしてだろう。」

「さあね。メアリのことも欲しいんじゃないの。」

「誰が、」

「もう止せ、先生だ。」

 ダレックが小声で囁いた。生徒たちはようやく大食堂に辿り着いたのだった。『大食堂』とのプレートが掲げられた扉の前で、一人の教師が生徒たちの到着を待っていた。

「新入生は、壇のすぐ前のテーブルへ着席なさい。」

 それだけ告げて、教師は食堂の扉を開いた。

 ジョニーとダレックは、食堂に入って早々、同級生の何人かと合流して、食堂端のテーブルへと消えていった。ウィルとドリーは、他の新入生たちと一緒に、教師に言われた通り、食堂入って正面の壇の前に並ぶテーブルに着席した。壇上にも幾つかテーブルが用意されていて、それらには既に教師が揃って着席していた。

 入学式が始まった。まず校長が新入生に歓迎の言葉を述べ、続いて教師陣の自己紹介、それから新入生の点呼があった。それらが済むと、給仕が、華やかな昼食を皆のところに運んだ。

 食事が終わると、再び校長が立ち上がり、校則についての説明をした。

「当校は教育機関の最高峰、大いに勉学に励んでいただきたい。しかしあくまで私共は教育の専門家で、それ以外の諸々を保証する者ではない。その意味で、常に注意して生活していただきたい。この学校には危険な場所も多い。例えば、宿舎と校舎を繋ぐ回廊だが、今日のように、嵐がくれば通路内にまで波が侵入することもある。大して実体がない水だからといって、容易く構えてはいけない。今朝、一人の生徒が回廊で波にのまれた。」

 食堂はしばし静まり返った。

「のまれてしまえば、それは私共の手の届く範囲ではない。その生徒が波にのまれて消えたとき、真横にいたもう一人の生徒は、片腕すら取られることなく無事だった。イレギュラーに対処する際は、事の大小にかかわらず、とにかく取り乱さないように。精神を統一させて冷静でいれば、必ず無事です。」

 ウィルは隣に座るドリーに耳打ちをした。

「片や死んで片や腕すら取られないって、ちょっとおかしいよね。冷静だろうとなんだろうとさ。」

 ウィルにとっては、実際、話の内容よりもドリーに耳打ちできること自体の方が大事だった。早く彼と仲良くなりたかった。ドリーは頭をひねって囁き返した。

「うん。それに今朝は、雨風は今よりも大人しいくらいだったと思ったけど。」

 

 式が終わり、ウィルとドリーが寮室に戻ると、既にジョニーとダレックは部屋に戻って私服でくつろいでいた。ウィルとドリーも制服を脱ぐ。ジョニーとダレックは、既に噂を仕入れていた。波に飲まれたのは、新三年生の女子生徒で、メイという名のアジア人らしい。

「そして、一緒にいて無事だったって生徒は、かのデイジー嬢と見た。二人、いつも一緒だったからな。」

 熱心に推論を述べるダレックに、ジョニーは呆れた。

「君、さっきから馬鹿の一つ覚えみたいに、デイジーデイジーデイジーって、不謹慎な奴め。」

「悪いのは僕じゃない、だって僕にはこの気持ちをどうにもできないんだからな。」

「君の発言はしばしば、顔に見合っていて尚更反吐が出るよ。全く、美人は罪深いな。」

 

 失くした記憶を取り戻せないかと、ウィルは改めて自分の持ち物を洗いざらい確認せずにはいられなかった。しかし成果は得られなかった。全て確認し尽くした彼は、自分のベッドに広げきった荷物をぼんやりと見つめた。ダレックとドリーは、ウィルになんと声をかけたらいいのか分からず、彼に声をかける代わりに、ジョニーに視線を投げて助けを求めた。ジョニーは、いきなり立ち上がると、クローゼットから、紺色をした、学校指定の綿のレインコートを取り出して、それを私服の上から着込んだ。

「外へ出よう。気分転換だ。」

「気分転換。」

 オウム返しで呟いて、ウィルは寮室の窓から外を見た。嵐は酷くなっていた。ドリーとダレックも天気は気にならないようで、ジョニーに賛同してレインコートを羽織った。ウィルは訝しげに問うた。

「人が溺れたばかりなのに。わざわざこんな日に外出するの?」

「問題ない。」

 ダレックが答えた。

「校長は、嵐の日には外出するななんて言っていない。嵐の日は気を付けて外出しろって言ったんだ。」

 

 寮のロビーには学生がたむろしていた。めいめいボードゲームや雑誌、雑談に興じている。

 外出する生徒も、四人以外にもちらほらといた。表門前に停まっている先ほどの乗り合い馬車に、皆で乗り込んだ。馬車は新入生を運んださっきの道を引き返し、生徒たちを港町へ連れて行った。馬車が止まると、生徒たちは降りて、それぞれに散っていった。

 四人は港に背を向けて石畳を登り、細い路地を辿って、二階のバルコニーの格子に看板を掲げている、古びたパブに入った。中は非常に賑わっていた。ジョニーとダレックが、店内を見渡して、教師の姿が無いことを確かめた。四人はカウンターでホットココアを受け取ると、店の隅の小さな丸テーブルの席に、ぎゅうぎゅうに詰め寄って座り、顔もこそこそと寄せ合った。

 ウィルが言った。
「じゃあ、僕とジョニー以外には、記憶喪失になってる生徒は一人もいないの?」

 ジョニーが答えた。

「そう思うね、新入生は分からないけど。去年は、冬にしろ夏にしろ、休暇を丸々学校で過ごした生徒は多分僕一人だったから。」

「ますます分からないなぁ。気味が悪いよ。」

「分からなくもないさ。帰る場所を奪ってまで、学校に幽閉しておきたいくらい優秀なのが、今のところ僕しかいないんじゃないか。」

 ダレックが軽く眉を上げた。

「それはそれは。幽閉おめでとう。」

 ……“僕しかいない”?じゃあ僕の記憶喪失は、君を幽閉する作戦の一端でしかないって言うのか。弟が覚えてちゃ意味がないから、ついでにやられたって?冗談じゃない。ウィルは、しかし、激しい苛立ちはひた隠し、代わりに挿げ替えた不満を口にした。

「君、やっぱり楽しんでるんだろ。駄目だよ、今回ばかりはゲームじゃない。」

「分かってるってば!だからこそ、今回ばかりは慎重を期して、なかなか動けないでいるんじゃないか。臆病に向こうからの何かしらの動きを待ってたら、結果何も分からないまま、あっという間に二年生だ。」

「何も分からないままってわけじゃないだろ。いくら学業以外は徹底的に放任主義の学校だからって、たった一人全く帰省しない君について、誰も彼もまるでノータッチなんだぞ。さすがにおかしすぎるよ。間違いなく教師全員黒だ。」

 ウィルは、ダレックの真剣な面持ちを見つめた。引き締まった表情をすると、彼の顔立ちの良さが際立った。

 ジョニーが言った。

「君はそう言うけど、実際に何の証拠も手に入れられていないのも確かだ。予想で決め付けるのは危ない……、でも勿論、用心はすべきだな。ウィル、そういうわけだから、とりあえず教師全員信用はするなよ。ドリー、君もだ。」

「僕は関係ない。記憶喪失になんかなってないし、僕、まず君を信用してないんだけど。」

 ドリーがそう言うと、ジョニーはドリーの肩を抱いて言った。

「君、さっきのこと、まだ疑ってるの。しつこい奴だな。」

「さっきのことだけだったら、こんなにしつこくもならない。」
 ドリーはジョニーの腕を振り払った。むくれたドリーを見て、ジョニーとダレックは顔を見合わせて笑った。

 

 日が落ちてきたので、四人は店を引き上げて寮へ帰った。帰りの馬車の中、ジョニーとダレックは二人で雑談に興じていた。ドリーは、雨で遮られた窓の外を睨んでいるきりで、何も言わなかった。ウィルは、彼の向かいで、その横顔をじっと見ていた。