二、旅人

 

 

 鮎と月は夏蝉と衣の籠を抱えて家に帰った。すぐに母も帰ってきて、夕餉を拵えた。

 今日の夕餉の席に父はいない。黒屋敷の夕餉に招かれていた。
 きっちり食べ終わって箸を置いてから、二人は母に、黒屋敷に行ってもいいかと聞いた。勿論忍び込んだりはしない、と断っておく。母は、ほう、と溜息をつきながらも、あちらが許すのなら、お好きに、と返す。どうせ母が許さずとも行くのだ。
 
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 子供が黒屋敷と呼ぶのは、この村一に次ぐ立派な屋敷で、良い木で組まれたので、組まれてから長いこと経った今は、全体に黒く濡れた艶があるのだった。
 一寸の間と許されて、屋敷の中に通された子供は、月を一等前に、そろりそろり宴の広間まで歩く。門を開けてくれた屋敷の女主(おんなぬし)は、宴のあれやこれやでてんてこ舞いで、子供を案内せずに消えてしまった。しかし月も鮎も、親のおまけで招かれたことがある家なので、広間の場所は分かる。それに分からずとも、ただ賑やかな声のする方へ行けばよかった。
 子供は、広間にたどり着くと、その襖をそっと開けて、押し合いへし合い中を覗いた。中は煩くて、誰も子供に気付かない。
 月と鮎は父を見つけた。その隣、見慣れぬ男の顔がある。あれに違いない。酒で顔を赤くして、月たちの父に向かってしきりに頭を下げている。かと思えば、次には手を叩いてのけぞり笑う。
「人の良さそうな顔じゃなあ」
 一人が囁くのに応えて、子供は口々言いたいことを言う。
「やっぱり神様の遣いかなあ」
「莫迦、お前え、神様の遣いは巫女様って決まっとるじゃろう」
「でも今、村に巫女様はおいでになられんじゃろ、だから……」
「なんの、あれぞ悪人面じゃ。ああいう人の良さそうなのが一等怪しい」
 鮎は偉そうに、真の悪人についてくどくど語る。控えめで、よく笑い良く飲むのは大抵悪党じゃ。
 皆、根拠の無い鮎の話に、ほう、と感心している。月も鮎を、目を輝かせて見つめる。
 鮎は、いつでも話を面白くする。子供にとって、父親以外の大人の男の大抵は、しょせん他所の世界の登場人物だ。他所の世界の人物ならば、真の善人より、善人面した悪人の方が、よほど面白みがある。