五、夏盛り

 
 
 三日三晩の眠りから覚めた、生まれたばかりの雨巫女は、それから更に三日間、床の間で休んで過ごし、その後は、少しずつ外に出た。
 
 この頃は、雨巫女は祷り女らと共に、毎日山へ行く。
 雨巫女は、山の中で、祷り女らに導かれて、村人には知らされぬ儀式を、日々一つ一つ重ねた。全ての儀式の締めくくりは、祠入りの儀であり、その日から巫女は祠に住まう。
 儀式は数多くあった。全てこなすには、夏中かけても済まないだろう。祠入りの儀は、刈り入れの祭と被るかもしれない。
 村人たちは、早くも浮き足立っている。今年の秋祭は、めいいっぱい華やかなものにしなくてはならない。
 
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 雨巫女が目覚めたあの朝から、一月。同じ屋敷で寝泊まりしていながら、月はほぼ巫女と会うことはなかった。
 父母は、朝晩は屋敷にいる雨巫女の世話をこなしているようだったが、それも月にはよくわからなかった。父母は、巫女の世話について、月の前ではほとんど話さない。巫女の世話を手伝わされるものと思っていた月は、拍子抜けした心持ちで、毎日夏蝉の面倒を見ていた。
 
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 朝。目を覚ます月。
 北向きの障子窓から、薄ぼんやりと差し込む朝日に浮かび上がる、がらんとした床の間。
 月は左に顔を向ける。鮎の、酷い寝相が見える気がする。冷えた木目をしばらく眺めて、月は首を振る。起きて着替える。
 父母の床の間に向かう。一人で眠っている夏蝉を起こす。手を引いて朝餉の席に向かう。
 席には、月と夏蝉の二人分が用意されている。父母は、もう既に食べたのだろう。
 そろそろ一人で食べられるようになっている夏蝉を眺めながら、月はのろのろと口へ箸を運ぶ。今まで、朝餉も夕餉も、皆で揃って食べていた。
(今日の夕餉も、夏蝉と二人じゃろうか)
 月は、ぼう、と考える。巫女様は、物をあんまり口にせんのじゃろうなぁ。
 月の箸は進まない。
 
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 昼、屋敷に祷り女らがやってきて、巫女を連れていく。夜には連れ帰ってくる。十人もの祷り女が、巫女を取り囲み、しずしずと山へ行く様、そして山から帰ってくる様は、清く厳かで美しい。
 
 巫女が連れられて行ってしまうと、月は、手の空いた母に夏蝉を渡して、月を誘い出しにきた子供と外へ遊びにいく。
 鮎がいなくなってから、村の子供は、毎日のように月を誘った。月の母は、娘に対する子供のその気遣いに、心打たれていた。しかし月は、友達と自身の心の距離を、静かに感じ取っていた。
 
 夕方、外で遊んでいて、月は、山から下りてくる祷り女の輪を見かけることはしばしばあった。その中心に巫女が隠されている。
 見かけるたび、友達は月に言う。
「月、見に行ったら駄目じゃ」
「そうじゃ。もう鮎は鮎じゃない、巫女様になったんじゃから、うちらは気安く近づいちゃあいけん」
 男の子も女の子も、月の腕を取って抱き込みながらそう言う。
 月は不思議だった。そんなこと、うちだってよくわかっとる。一度だって、見に行ったり近づいたりしたことはないのに、どうしてみんな、そんな風に言ってくるんじゃろうか。
 
 友達に腕を抱き込まれるたび、月の手のひらには鮎の手の感触が浮かんだ。