第二章
暗い洞窟の中に私は立っていた。
あまりにも巨大な洞窟で、周りを見回しても、上を見上げてみても、果てが見えなかった。
明かりが何処からも差し込んでいないようなのに、中の様子が見えるのは、どうやら私は、夜目が効くらしい。
ふと、足元に気配を感じて見下ろした。風化した、動物の死骸が転がっていた。
しかしすぐに私は気がついた。それは死骸じゃない。まだ生きている。
「ミバゲ」
私が、そう呼んで跪くと、微動だにしなかった、死骸のようでいて死骸ではない“それ”は、呼び覚まされたように、片腕を私の方に伸ばして、顔をあげた。見慣れ過ぎた、死にかけてなお、賢者の風格を存分に漂わせる、老婆の顔。
しかし、その下半身は、完全に風化して、一つ撫でれば粉々に砕けてしまうに違いなかった。見る間にも、じわじわと上半身も干からびていっている。
「ミバゲ」
私がもう一度呼ぶと、老いた賢者は、声ではなく、息で、私にはっきりと伝えた。
(この壺を)
私は、迷わず、うつ伏せる老婆の腹に両手を差し込むと、老婆の抱え込んでいたものを、急いで引き摺り出した。
人の頭ほどの大きさの、その壺の中には、濁った苔色をした、半透明の玉が詰まっていた。
私が、老婆の顔を見つめながら、その壺を胸元にかき抱くと、老婆は、目を閉じ、再び俯いて、地面に頭を預けた。風化は進み、今や下半身は消え去っていた。上半身も土と化していく。
目を凝らせば、地面に浮き上がる、懐かしい顔が見える。父親、母親、兄弟…。皆、間もなく、跡形もなく土と同化するんだろう。ミバゲのことも、私は、祖母と慕っていた。皆が土に還る中、自分だけこうしてイレギュラーに生き残っているということは、やはり自分は、彼らとは異種だったということだ。
一瞬、彼らと共に、土に還りたい、という思いが、凶暴なまでに私の中で膨らんで、私は我知らず、抱えていた壺を地面に投げつけようと振り上げた。
そのとき、地響きがして、私は驚いて前を向いた。
巨大な洞窟の、その天井にまで届くかという大きさの、黒光りする甲殻類が、地面から伸び上がって私の前に現れた。ギイギイと、気味の悪い音をたてて、体を軋ませている。
あまりにも巨大な洞窟で、周りを見回しても、上を見上げてみても、果てが見えなかった。
明かりが何処からも差し込んでいないようなのに、中の様子が見えるのは、どうやら私は、夜目が効くらしい。
ふと、足元に気配を感じて見下ろした。風化した、動物の死骸が転がっていた。
しかしすぐに私は気がついた。それは死骸じゃない。まだ生きている。
「ミバゲ」
私が、そう呼んで跪くと、微動だにしなかった、死骸のようでいて死骸ではない“それ”は、呼び覚まされたように、片腕を私の方に伸ばして、顔をあげた。見慣れ過ぎた、死にかけてなお、賢者の風格を存分に漂わせる、老婆の顔。
しかし、その下半身は、完全に風化して、一つ撫でれば粉々に砕けてしまうに違いなかった。見る間にも、じわじわと上半身も干からびていっている。
「ミバゲ」
私がもう一度呼ぶと、老いた賢者は、声ではなく、息で、私にはっきりと伝えた。
(この壺を)
私は、迷わず、うつ伏せる老婆の腹に両手を差し込むと、老婆の抱え込んでいたものを、急いで引き摺り出した。
人の頭ほどの大きさの、その壺の中には、濁った苔色をした、半透明の玉が詰まっていた。
私が、老婆の顔を見つめながら、その壺を胸元にかき抱くと、老婆は、目を閉じ、再び俯いて、地面に頭を預けた。風化は進み、今や下半身は消え去っていた。上半身も土と化していく。
目を凝らせば、地面に浮き上がる、懐かしい顔が見える。父親、母親、兄弟…。皆、間もなく、跡形もなく土と同化するんだろう。ミバゲのことも、私は、祖母と慕っていた。皆が土に還る中、自分だけこうしてイレギュラーに生き残っているということは、やはり自分は、彼らとは異種だったということだ。
一瞬、彼らと共に、土に還りたい、という思いが、凶暴なまでに私の中で膨らんで、私は我知らず、抱えていた壺を地面に投げつけようと振り上げた。
そのとき、地響きがして、私は驚いて前を向いた。
巨大な洞窟の、その天井にまで届くかという大きさの、黒光りする甲殻類が、地面から伸び上がって私の前に現れた。ギイギイと、気味の悪い音をたてて、体を軋ませている。
怪物はうねりながら徐々にこちらに近づいてくる。
まるで地底旅行だ。私は地底旅行を読んだことはなかったが、常々読みたいと思っていて…。
そこまで考えて気づく。これは物語の中じゃないか。
私は思い出した。そうだ。これは第二章の世界。
メグはどこだ。私は焦って周りを見渡すが、どこにも彼女の姿は見当たらなかった。メグはどこにいったの?何故いないんだろう。第一章は、当たり前のように彼女の協力があったのに。第二章では、私は一人で逃げなくちゃならないんだろうか。
私は急に孤独が恐ろしくなった。今こんなにもわかりやすく、追っ手の存在が、怪物の形をとって目の前に迫ってきているにもかかわらず、私の足は遅々として動かない。見えない相手から逃げていた以前より、この場合はずっと楽なはずなのに、まるで足が動こうとしない。
怪物は、着実に私に向かって進んできていた。それなのに私は、いつまでもぐずぐずと、メグのことを考えながら、その場で足踏みしていた。
メグはどこだ。この物語の中から、はじき出されたのか。でもそんなことってある?あれほど活躍していた登場人物が、章が変わった途端に消え去るなんて。章ごと、まるで独立した短編集ならわかるけど。でもそんなわけない。私が変わらず主人公なんだから。
私が孤独に狼狽えているうちに、怪物は、ついにすぐそばまで迫ってきていた。私は、怒りと恐怖と混乱で、自暴自棄になる。完全に、根が生えたように、その場に立ち尽くす。
だって私が主人公なら、メグも主人公なんだ。メグがいなければ、私は動かない。動けない。
メグがいないなら、私は死んだってかまわない。
風が、洞窟の中に吹き込んでくる。強くも、弱くもない、乾燥した、暗い灰色の風。
まるで地底旅行だ。私は地底旅行を読んだことはなかったが、常々読みたいと思っていて…。
そこまで考えて気づく。これは物語の中じゃないか。
私は思い出した。そうだ。これは第二章の世界。
メグはどこだ。私は焦って周りを見渡すが、どこにも彼女の姿は見当たらなかった。メグはどこにいったの?何故いないんだろう。第一章は、当たり前のように彼女の協力があったのに。第二章では、私は一人で逃げなくちゃならないんだろうか。
私は急に孤独が恐ろしくなった。今こんなにもわかりやすく、追っ手の存在が、怪物の形をとって目の前に迫ってきているにもかかわらず、私の足は遅々として動かない。見えない相手から逃げていた以前より、この場合はずっと楽なはずなのに、まるで足が動こうとしない。
怪物は、着実に私に向かって進んできていた。それなのに私は、いつまでもぐずぐずと、メグのことを考えながら、その場で足踏みしていた。
メグはどこだ。この物語の中から、はじき出されたのか。でもそんなことってある?あれほど活躍していた登場人物が、章が変わった途端に消え去るなんて。章ごと、まるで独立した短編集ならわかるけど。でもそんなわけない。私が変わらず主人公なんだから。
私が孤独に狼狽えているうちに、怪物は、ついにすぐそばまで迫ってきていた。私は、怒りと恐怖と混乱で、自暴自棄になる。完全に、根が生えたように、その場に立ち尽くす。
だって私が主人公なら、メグも主人公なんだ。メグがいなければ、私は動かない。動けない。
メグがいないなら、私は死んだってかまわない。
風が、洞窟の中に吹き込んでくる。強くも、弱くもない、乾燥した、暗い灰色の風。